宝塔寺由緒沿革

宝塔寺由緒沿革

昭和三十年代後半、奈良県吉野町宮滝在住、日高ハル(妙春法尼)は若くして夫と死別、その上両眼を失明した。ハルは苦難を乗り越える強い信仰心を持つこととなる。

彼女の生家には先祖より受け継がれてきた仏舎利(お釈迦さまのお骨)が祀られており、そのみ前において一生懸命に法華経を読み、お題目を唱えた。たとえ目は開かなくとも、心の目が開きますようにと修行に励んだ結果。仏舎利が心の中に浮かび上がり、人々の苦悩する姿が手に取るように見え、近在の人々にその霊力を知られるようになった。その後、仏縁があって、桜井市日蓮宗妙要寺歴代大島鳳静師の弟子となる。

昭和三十九年五月六日、師匠の尽力を得て吉野町志賀にて信者と共に宝塔寺の前進となる日蓮宗日高結社を設立。

その頃、吉野町上市在住で熱心な法華経信仰者であった宝塔寺初代笠山仙治(日仙上人)は、体調が思わしくなく検査の結果「胃がん」と診断され、悶々とした日々を送っていた。彼は、日高ハルの霊力と仏舎利奉安の偉大な功徳を目の当たりにし、日夜結社を訪れ信仰に励まれた。日蓮宗総本山:身延山久遠寺に詣で、日蓮聖人に我が身を預けて修行に励み、心身ともに洗い清められた気持ちとなり、再検査の結果がん細胞が消えていた。

この不思議とありがたさに一層信心を深め、一人でも多くの人に分かち合いたいと念願し、布教活動に専念し同信と共に「題目講」を結成し講頭となる。

昭和四十年四月、妙春法尼捧持の仏舎利を景勝の地に奉安して多くの方々に拝んで頂こうと発願。妙春法尼の賛同を得て、眼下に吉野川を見下ろし彼方に吉野大峯の山々を望める現在の地に仏舎利塔建立を決める。

昭和四十一年三月、信徒の協力参加のもとパゴダ式仏舎利塔・祖師堂の建立。以来参詣者の数を増やし、本堂の建立・鬼子母神堂・妙春法尼念願の水子地蔵尊堂建立。

昭和四十八年一月七日宗教法人「七宝山大和仏舎利塔」を設立し、住職として笠山日仙上人が就任された。

昭和五十九年三月、妙春法尼の孫、寺島法瑞が身延山短期大学を卒業。同年六月十九日、笠山日仙上人の後を継いで住職に就任。

平成年月、車道敷設

平成十七年十一月、新本堂建立し現在に至る。